ブロニカ終焉
新規投稿者 MATIA  投稿日 10/21(金) 08:53:41  返信も含め全削除
だそうです。

返信 7 れんずまにあ  投稿日 10/22(土) 20:47:19  削除
偶々でっせ。あと大台ヶ原にも持参。今ならRBで行くかも(爆)
返信 6 ゼットン  投稿日 10/22(土) 20:39:27  削除
>RB担いでいくのは嫌だけどGSならなんとかという層はあったかもしれません。

仄聞するに、それわ、あなたさまのことでわ?
GSフルセット担いで、えうろっぱに出撃なされませんでしたか?
返信 5 れんずまにあ  投稿日 10/21(金) 17:00:17  削除
贔屓の目で見れば、SQはハッセルよりもフールプルーフが徹底し、海外プロには好評だったようです。如何によく写っても失敗する確率が高い機材は評価されませんので。そして写りも、余程の目で見ないと差はわからないでしょうし、却って勝っている場合もと評されることもあるでしょう。私は、多分後者  ^^ 

GS−1は初めからスーパーフィールドカメラという売り込みでしたので、スタジオ用RB/RZに対して、屋外用で徹底的に贅肉を絞って、レンズシャッターというウリでいきたかったのだとおもいます。アマチュア用ですね。RB担いでいくのは嫌だけどGSならなんとかという層はあったかもしれません。

今は昔。というか出回っている中古だけでニーズが充足できるかも (^^;)
返信 4 スポック  投稿日 10/21(金) 14:27:07  削除
レンズシャッターを採用したETR(645)以降は、
ほとんど独創性を感じませんでしたね。
SQシリーズならハッセル、GS-1ならRB,RZと比べて、
どのような「売り」があったのでしょうか?
返信 3 れんずまにあ  投稿日 10/21(金) 11:46:19  削除
風前の灯火とは思っておりまったが......>RF645

あれでフォーカルプレーンなら多少は命脈を保てたのに、真面目にLSにするもんだからマニアにそっぽ向かれ。

私の中ではブロニカは一眼レフ、特に66をやめた時点で頭から消え去りました。
ご冥福を。
返信 2 スポック  投稿日 10/21(金) 09:30:37  削除
1970年代前半、日本の蒸気機関車が終焉を迎えつつあり、
いわゆる「SLブーム」が全盛だった頃・・・
当時のカラーフィルムは粒子が粗く、
大伸ばしに耐えるのは最低6×6というのが常識でした。
よく見かけたのが、マミヤC、マミヤプレス、バケペン、
そしてゼンザブロニカでした。
その中でもバケペンとブロニカは高級機のイメージで、
羨望の眼差しを集めていました。

これでまた二十世紀が遠のいて行きます。
返信 1 MATIA  投稿日 10/21(金) 08:54:16  削除
ということで,がんばれマミヤ。
って,マミヤの「新製品」を買う予定はなし・・・・f(^^;


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